このケゾえもん寄稿は前のケゾえもん寄稿の続き。
スピーカーの話は待ちなさい。
昨日の寄稿のために天井裏にしまってあったヘッドフォンを久しぶりに出してきて写真に撮ったと言ったら、ホクオがじゃあ今は何で聞いているんだと質問してきた。
スピーカーに決まってるでしょ。これについては追々話すから待ちなさい。
マンションで妥協なしの音を聞くにはどうしたら良いかを考えて、あのヘッドフォン方式を考え出したのであって、スピーカーで聞ければそれに越したことはないのだ。
突発性難聴を患って、聴力は回復しているが聴神経が傷ついているので今は恐くてヘッドフォンは使えない。改造してあるのでヤフオクにも売れない。
シュルツさんと接点ができたいきさつ。
いろいろ思い出してきたので、シュルツさん関連の話を続ける。
私が最初にシュルツさんと接点を持ったのは、ウィーン・リング・アンサンブル
という室内楽団がサントリーホールで演奏会をしたときだった。
私の友人の夫婦のハマとカナ(仮名)もいっしょに行ったのだが、コンサートの後にカナが出待ちをすると言い張って、そういうの嫌いな私はえーっと思ったが、それが縁でシュルツさんと接点ができた。
詳しくははぶく。
当時のウィーン・リング・アンサンブル。
ウィーン・リング・アンサンブルを見つけたのは実は私で、そのコンサートを教育テレビが放送していた。
私は「こっこれは!」とびっくりして、ハマ、カナに報告して、コンサートに行くようになったのだ。
ウィーン・リング・アンサンブルはコンサートマスターのライナー・キュッヒルが主催してほぼウィーンフィルの首席および主席クラスの奏者で編成されたセプテット(九重奏団)である。
現在もキュッヒル主催で存在するがヴィオラのコル以外はメンバーが変わってしまっている。と言うか腰が曲がるまで続けると宣言してたので、みなさんどうなったか、シュルツさんが死んでしまったという事実がある以上、非常に心配である。
もはや昔のメンバーは検索で出ないので、記憶で書くが、
セカンドバイオリンはザイフェルト。当時の各コンサートの映像を見るとわかるがウィーンフィルのコンマスの隣を定位置としていた人だ。
ビオラは首席のコル。この人だけキュッヒルさんと共に生き残っている。
老け顔していたが意外に若かったのかも。
コントラバスはイーベラー。
あれイーベラーさんはチェロか?
じゃコントラバスは忘れた。たぶん首席だった筈。
フルートは言わずと知れたシュルツさん。
クラリネットは首席のペーター・シュライヤー。
クラリネットはダブルでもう一人はヒンドラー。
そしてホルンは首席のヘーグナー。
現在も編成は同じでクラリネットもなぜか2本態勢だが、前のメンバーで10年以上やったから(毎年新年に来日した。)、オーケストラ曲の編曲がその編成になっていて、編成を変えるとまた編曲をやり直すことになるからだと思う。
このオーケストラ(もうオーケストラと呼ぶ。)の何がすごいかと言うと、完全にミニウィーンフィルで神々しく鳴り響くということだ。
このオーケストラはウィンナワルツ、ポルカに特化しており、そのレパートリーは、毎年新年にウィーンで行われる有名なニューイヤーコンサートの曲目と重なる。
ニューイヤーコンサートがいかにすごいものか、いかにウィーンのムジーク・フェライン・ザール(ウィーンフィルの本拠地)が鳴り響くか、私とハマとカナは行ったことがあるので良く知っている。
ところがリング・アンサンブルときたらそれをまんま日本で再現してくれるのだ。たった9人だと言うことなど関係ない、鳴り響く。
ウィンナワルツ、ポルカというとズンチャチャ、ズンチャチャと軽音楽風なものを想像するかもしれないが、ウィーンフィルのそれはものが違う、次元が違う。
信じて欲しい。
それを日本で聞けてしまう。こんな、こんな良いことはない。それがウィーン・リング・アンサンブルである。
今のウィーン・リング・アンサンブルには行かない理由。
キュッヒルが主催している以上、今のウィーン・リング・アンサンブルも同じ奇跡を巻き起こしてくれるのだろう。しかし本当に失礼な例で申し訳ないのだけど、今の私は飼い犬に死なれててペットロスになってる人状態だ。
なんか今のリング・アンサンブルは聞きに行く気がしない。
たぶんすばらしいんだろうけど、たぶん行かない。
2020年8月10日、ケゾえもん記。
ウィーン・リング・アンサンブルは、オーストリア・ウィーンを本拠とするアンサンブル。ウィーンの旧市街の環状道路“リング”にちなんで命名。
タワーレコードオンライン(2016年)より
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を率いたライナー・キュッヒルを中心に、ヴァイオリン2名、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、ホルン各1名、クラリネット2名の9人編成。
99年以降、ウィーン楽友協会での年末恒例のコンサート・シリーズが毎年ブラームスザールで行なわれ、地元の絶賛を集める。
2002年夏にルツェルン・フェスティバルへ招待。日本へは91年以来頻繁に来日し、おなじみの存在に。2017年で27回目の来日を数える。