スウェーデンの中で、組織に属さず極めて狭い社会の中で生きているホクオだが、周囲にコロナ感染者はゴロゴロいる。「ものすごくひどい症状でのたうち回った」とか、「ぜんぜんたいしたことなかった」とか、症状の程度はいろいろだが、みんなインフルエンザにかかったときと同じような調子で話す。
スポーツジムのグループレッスンのインストラクターも、レッスンが始まる前に、みんなの前で大声で「コロナで今まで休んでたけど、もうだいじょうぶです! みなさんも気をつけてくださいね。」と言っていた。
わざわざ書くまでもないほどふつうのことだったのだが、以下を読んで、わざわざ書くことだと知ったので書いている。
イタリア在住の漫画家ヤマザキマリさんは、日本では感染者を出すことが犯罪のように扱われるが、イタリアでは感染者が顔出しでSNSなどで積極的に発言し、「いわゆる感染者差別というのは全くと言っていいくらい、ない。病気での差別は数百年前までのプリミティブな人間のやることだと捉えている」という(「文藝春秋」2020年 7月号)。これはきわめて興味深い指摘だ。
「講談社オンライン」2020.8.7より
これを読んで、他の国に住んでいる友人・知人に、コロナに罹った知り合いがいるかと聞いてみたところ、ホクオが聞いたのは数人だけだが、知らないと言った。カリフォルニアのアメリカ人も聞いたことがないそうだ。
スウェーデンで「実はコロナにかかっていたけれど、秘密にしておいて。」と声を潜めて話してくれた人は約1名。日本人のAで騒動初期だった。
別の日本人Bは、日本人Cにすれ違いざまに「コロナだったんだってー?大変だったねー。」と大声で聞かれて、「そうなのよー。大変だったのよー。」と大声で答えていた。
(日本では)コロナという病気がケガレであるいう、強固な差別的意識が明確に存在している。
「講談社オンライン」2020.8.7より
(中略)
欧州でも 800年ほど前まではそうした意識があったのだが、現在では消滅した。イタリア人が感染者差別を「プリミティブ」(原始的)というのは、これを示しているのだ。