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(2023/3/20 ケゾえもん寄稿)
トリスタンとイゾルデはワーグナーの魔力全開のオペラ
トリスタンとイゾルデのストーリーはこまごま話すつもりはない。ウイキペディアを参照して欲しい。
愛の耽溺というべきオペラで、特に2幕のコーンウォールの城の庭園でトリスタンとイゾルデが延々数十分も愛を語り合う場面は、聴いているとなんというかその異世界にはまり込んでしまう。ワーグナーの魔力全開のオペラなのである。
大指揮者カルロス・クライバーは自分に自信がなかった
トリスタンとイゾルデは私の中で特別分類に入るオペラで、どういう分類かというと「指揮者カルロス・クライバーが録音を残したもの」という分類だ。クライバーは指揮にエネルギーをかけ過ぎるのと自分に自信がないことから大指揮者でありながら本当に少ししか録音を残さなかった。だからクライバーファンは砂漠で迷ったときの飲料水の様にクライバーの録音を求める。
私はこっそりクライバーの演奏会を録音した
私はクライバーの録音コレクターで正規盤はもちろん、海賊盤もあらかた持っている。
クライバーはウィーンフィルの定期演奏会でリヒャルト・シュトラウスの英雄の生涯を演奏して、その実況録音は正規盤として発売する予定だったのに自分に自信のないクライバーが、こんなのだめだと言ってキャンセルしてしまったといういわくがある。その定期演奏会を聴きに行ったわたしはこっそり、その演奏を録音してしまった。これはわたしの宝だものね。
後日(たぶんクライバーの死後)実況盤は発売されて私も手にいれたけど、私の録音の方がなまなましい。実況盤ではそのなまなましさがすっぽり抜けている。これは良くあることで一番音がいいのがピンポイントマイクで録音したそのままの音。発売されるCDは多数のマイクロフォンで録音して後でミキサーで編集する。どんな高性能ミキサーを使ってもその時に音の鮮度が落ちる。それにも関わらずレコード会社はピンポイントマイクで拾っただけの録音は売り物にならないと考えている。
わくわくするような上昇していく音楽、はたまたそれが途切れた後の批判者たちのリアルな舌打ち。すべてが特別な英雄の生涯だった。一時期こればっかりウォークマンで聞いて追体験を繰り返したわたしだから間違いない。
こっそり入手したお宝音源にさらに手を加えてやったこと
脱線した。トリスタンとイゾルデに話を戻そう。
トリスタンとイゾルデはワーグナーの聖地のバイロイトでも当然何回も演奏されている。そのバイロイトでトリスタンとイゾルデをジャン・ピエール・ポネルが演出した年があってそれがすばらしい。その舞台をそのまま映画にしたDVD(レーザーのころから持ってるけど)がある。私はある技術者に依頼してその映像とクライバーのトリスタンの録音を合体させてもらった。
合体を依頼したときの私の条件は、映像の方はいくらいじっても良い、ただし音源の方はオリジナルから手を加えてはいけない、waveファイルを映像編集ソフトにそのまま貼り付けよ。彼は見事にその仕事をしてくれて私は映像バイロイトのポネル演出、音源はクライバー指揮の正規盤というMPEGファイルを持っている。音声は44.1KHZ16ビットのCDそのまんまである。これを音は私のすべてのノウハウを傾けたオーディオ装置、映像はプロジェクターによる130インチで視聴するともうすごいことになる。出力はパソコンで行い、USBを経由のDDコンバーターで音声信号を取り出し、オーディオシステムにつなぐ。
プロジェクター視聴なので当然部屋は暗くする。130インチまで広げるとプロジェクターの画面からの反射光は柔らかくなってちょうどよい暗闇の中で視聴ができる。
これがテレビだと明るすぎる。私はまだテレビが白黒だった時代それを体感した。淀川長冶の冒頭解説が人気だった日曜洋画劇場でオードリーヘップバーンの暗くなるまで待ってが放映されたときがあった。盲目の女性がアパートへの侵入犯と戦う話で、確か淀川長冶が画面が真っ暗になる演出が怖いと予告したんだと思う。私はそれなら部屋を真っ暗にすると余計怖いぞと思いそうした。そしたらその場面でブラウン管は光り輝くではないか。暗くすると余計だめだと悟った。テレビは明るいところで見るようにできているので画面は相当に明るいのだ。
あっ脱線した。トリスタンね。でもね暗い中でトリスタンとイゾルデを聴くというのは大切なことなのである。
この特別MPEGファイルを部屋を暗くしてプロジェクターで映写してトリスタンとイゾルデに耽溺するのは私の秘密の楽しみなのだ。
映像のイゾルデ役はヨハンナ・マイアーなのだけどMPEGファイルの声はマーガレット・プライスでマイアーには申し訳ない。しかしトリスタンはどちらもヘルデンテノールのルネ・コロであり、これは本当によかった。
(2023/3/20 ケゾえもん記)