それにオープニング映画ということで、和菓子店の手作りミニどら焼きつきももらえました!おいしかったです。
あのね、ホクオくん、どら焼きで喜んでいる場合じゃないですよ。忠臣蔵というのはですねぇ・・・。
「忠臣蔵よ永遠に。」
(2021年10月3日 文=ケゾえもん)
突然だが忠臣蔵の話をしたい。忠臣蔵というのは以下の様なことである。
江戸時代中期1701年2月に赤穂藩藩主浅野長矩が江戸城内で高家・吉良上野介に切りかかり怪我を負わせた。江戸城内でこういうことをすることは重罪だったので長矩は即刻切腹になり、赤穂藩はお取り潰しになり、藩士たちは露頭に迷った。藩士たちは殿様であった浅野長矩の敵討ちをしようと計画し1702年12月に吉良上野介の屋敷を襲い(討ち入り)吉良を殺すことで果たした。武士の世界では敵討ちは非常に称賛されるべき行為とされていたので、この行為は世論の支持を受け喝采を浴びたが、政府(江戸幕府)はこれを罰するしか方法がなく、全員死刑(切腹)となり討ち入りをした47名は惜しまれ英雄となった。
というお話でちょっと前までは、日本人が誰でも知っている話だった筈なのに、最近の若者はまったく知らなくなってしまったので、びっくりしている。上記簡略ストーリーも若い人が知らないであろう用語を使わない様に苦労した。
とても人気のストーリーでいくつもいくつも映画化されており、毎年12月になるとテレビ局はオールスターキャストで「忠臣蔵」のスペシャルドラマを作り放送した。ところがそれがいつの間にか(若者は)誰も知らない物語になってしまうとは驚きである。
「新春ワイド時代劇 忠臣蔵 その義その愛」ってあたりからこりゃおかしいなと・・・これでも2012年か。そんなに昔じゃないんだな。でももうこれが最後の忠臣蔵なんじゃないかな?この忠臣蔵で出演者がまったく時代劇調のセリフをしゃべらず、まるで現代人みたいにしゃべるのに違和感を持ったけれど、テレビ局も世の中の変化を感じていたということなのだろう。
私は強い忠臣蔵愛を持っている。この物語の面白さを若い人に使えたいとは思うけど、これは段々難しいことになっていてほとんどその努力は放棄せざるを得ない。だってそもそも事件の発端となった、勅使饗応、城内刃傷、喧嘩両成敗というようなことを説明して行くのは骨だし、聞く方も聞きたくもない話だろう。その他、畳替え、烏帽子大紋、江戸から赤穂への早籠などのキーワードの説明も本当に骨が折れる。
だいたい忠臣蔵を知らないなら中村安兵衛の高田馬場の決闘も知らんだろうし、内蔵助(討ち入り隊隊長)の橦木町遊郭遊びがどんなものかもわからないだろう。
内蔵助が江戸にいよいよ向かう途中での垣見五郎兵衛との対決、内蔵助の事情を忖度した五郎兵衛の行為にいっしょに泣いてくれるかというとそれはもはや疑問だ。
泣くと言えば大事な場面は南部坂雪の別れ。内蔵助をなじってしまった長矩の未亡人瑤泉院が内蔵助が置いて行った巻物を見る。
「こっこれはなんと連判状!内蔵助許してたもれ」
忠臣蔵は超人気ストーリーだったのでいろいろなバリエーションで映画化されているが、やはり畳替え、烏帽子大紋、早籠、垣見五郎兵衛、南部坂の別れを正統に描いてくれないととても不満になる。これらの場面でバリエーションを使ってはいけない!
「おう俺たち江戸っ子の畳職人が一晩で100枚の畳替えやってのけてやらあ」(畳替え)
「殿、こんなこともあろうかと烏帽子大紋、ご用意してございます」(刃傷直前)
「殿にあらせられては勅使ご饗応の折、江戸城内で刃傷!」「なっなんと!」(早籠)
「むっその紋は播州赤穂。・・・・拙者が偽物でござった。平にご容赦を」(垣見五郎兵衛)
「瑤泉院様!こっこれをご覧ください!」(南部坂の別れ)
忠臣蔵のことを考えると走馬灯の様に名場面が思い出される。
そうそう、討ち入りの時、隣家が赤穂浪士のために提灯をたくさん塀沿いに立ててくれるエピソードもぜひ省略しないで欲しい。隣家の殿様には「もし、塀を越えて逃げてくる吉良家のものがおれば追い返せ!」ときちんと命令させて欲しい。
もはや、ドラマ、映画での忠臣蔵は終わったなと思われるが、小説ではこれからも忠臣蔵は題材となるだろう。なにしろ物語としての素性が良い。知らない人が増えてしまっては映画で予算をかけることはできなくなってしまったわけだが、小説ならあらゆる状況を予算ゼロ(実際には取材費調査費がかかるが)で描き出せる。
ここ数年で読んだものでおもしろかったのは(現物はすぐみつからないから記憶で)当時の将軍綱吉の側近だった柳沢吉保の主観で描かれる小説がおもしろかった。
勅使饗応のため江戸城内で将軍綱吉は儀式に臨むため沐浴して清めていた。隣室に控えていた吉保は遠くの方でわーっと叫び声が聞こえた気がして、精神を集中させ身構えた。するとばたばたと数人が駆け足でこちらにどんどん向かってくるのが聞こえる。すわっ謀反かと刀に手をかけるとやって来たのは数人の茶坊主。他のものは烏帽子大紋で走れないのだった。
しかしこの重大事の報告者として茶坊主ではどうにもならない。柳沢はするどい質問を
連発するが茶坊主たちは満足に答えられない。
「近くに梶川殿がいらっしゃいました」
「浅野殿は覚えたるかと叫ばれまして」
「いや白書院を血で汚したかどうかは、ちょっとわかりかねます」
吉保くらいになれば茶坊主ならばこの程度でしょうがないとすぐ諦めたがその後、到着したものからの報告を聞いてもどうにも要領を得ない。変なことばかりなのである。
「私怨かと思われます」
「どのような私怨か?」
「さて?」
「私怨なら、なんでよりにもよって勅使饗応の折にする?」
「さて、それは」
「吉良は抵抗したのか?」
「いや、一方的に切りかかられたように見受けられます」
「吉良はどうしておる」
「御典医の手当を受けております」
「御典医?それは誰の指示じゃ?」
「はてわかりかねます」
「御典医の手当を受けるということは吉良にまったく過失がないことを意味する。それを誰が判断した?」
「調べて、お答え申し上げます」
この吉保の主観から事件を見るというのは超新鮮だった。
他に内蔵助が困難をやっと乗り越えてという普通のストーリーではなく、超アグレッシブに陰謀と工作を仕掛けるというのを読んだことがある。
「吉良が呉服橋の屋敷にいては、討ち入りは不可能である。従って我々は吉良を呉服橋の屋敷から追い出す」
と内蔵助は宣言し、赤穂浪人が大挙して吉良屋敷を襲うという噂を流しまくって、吉良屋敷の周辺の大名たちに
吉良の屋敷替えの運動を起こさせる。結果、吉良は賑やかな呉服橋から隅田川を渡った江戸の外れ本所に屋敷替えを命じられた。
(2021年10月3日 文=ケゾえもん)
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