最近見た演出のひどいオペラ「椿姫」
(ケゾえもん 2023.9.26 記)
このオペラは日本では椿姫と呼ばれることが多いが、これはオペラの原作小説の題名。しかももちろん直訳ではない。ヴェルディのオペラの原題は la traviata。
これは道に迷ったという意味で、良く「道を踏み外した女」と訳される。さて、このオペラの主人公のヴィオレッタはどう道を踏み外したかというと性的サービスを含む会員制クラブのママだったからというわけなのだ。とりあえず、これを「クラブ」とだけ呼ぼう。
ストーリーは単純で、そのクラブに初めて来た良いところのぼんぼんの(このクラブ、伯爵、子爵クラスでないと入れないらしいので良いとこの子なのは当たり前なんだけど)アルフレードとヴィオレッタが1幕で意気投合して、2幕で同棲を始めていてしかし事情(後述)によりヴィオレッタは家出。2幕2場でフローラという別のクラブのママのところにヴィオレッタは以前のパトロンといっしょに遊びに来るが、そこにアルフレートが追ってやってきてややこしいことになる。
三幕ではもともと肺病を患っていたヴィオレッタは死の床。そこにアルフレートがやってきて仲直り。でもヴィオレッタは死んでしまう。
はしょり過ぎたので興味ある人はウイキペディアを読んで。
さて以前、ワウワウで放送されたメトロポリタンオペラの椿姫(2011-2012年シーズン)を最近見たところだ。この演出ひどく気にいらない。シンプルなほぼ壁だけのセットにちょっと家具があるだけの場面設定。ひどいのが無理やり全員男にしてあること。ソプラノもアルトも男として黒服で出て来る。私はそれが成功していると思わないけど、なかには好きな人もいるだろう。欠点をいちいち並び立ててもしょうがないので、ひどく気にいらないところを二つだけあげたいと思う。二つだけだ。約束する。
ひとつはジェルモンの人物の描き方と、もうひとつはヴィオレッタの着ているドレスだ。
このオペラでいつも問題となるのがジェルモンというアルフレードの父親。2幕に突然に息子の留守中にヴィオレッタのところを訪問して息子と別れてくれと頼む。
このジェルモンの人物像についてはこれまでもいろいろ言われてきた。娘の縁談が破談になるから別れてくれと言っているけどそれはただの作戦に過ぎないとか、実は狸おやじで「悲しいさだめを背負った人よ」などと歌っているけど、それは混ぜっ返しているだけだとかそういう議論は昔からあって、新鮮な考えでもなんでもない。
しかしね、確かに問題のある人物なんだけどジェルモンが狸おやじだと描くと一番いけないのは音楽と合わなくなることだ。ジェルモンが歌う限りなく美しいパートがすべて台無しになるのだ。それがこれまで、いろいろ問題があるにしてもジェルモンが悪い人とは描かれなかった理由だ。
ところが、このメトの椿姫のジェルモンは見てると一癖も二癖もあるジェルモンでメトロポリタンオペラの中継では歌手へのインタヴューがあるのだけどジェルモン役の歌手が得意そうに「この演出ではジェルモンがどうヴィオレッタを追い詰めるかなのです」などと言っていた。
いじわるジェルモンなのだ。観察しヴィオレッタのダメージを測り追い詰める。こんなジェルモンが歌う「プロバンスの陸と海」に感動できるか?
この演出家、それだけでは済まさなくて2幕2場でさらに追い打ちをかける。フローラの夜会という場面で冒頭、闘牛士のダンスの場面があるのだけど、ダンサーとしてジェルモンが登場して(台本にはない余計な事)しかも上半身はだか刺青だらけの悪おやじという役柄でヴィオレッタを徹底してからかうダンスを披露するのだ。あざ笑いながらヴィオレッタの赤いドレスと同じものを闘牛士の赤い布の代わりに振り回したりする。しまいに自分で着て高笑いする。
わかるよ、演出家が何考えているかは。ジェルモンはヴィオレッタの悪夢だと言いたいんだろ。演出というものはその演出家に全権委任されるもので、どう文句言ってもしかたがないので諦めるけど、声を大にして言いたいのはそれじゃあ、音楽と合わなくなるだろってことだ。演出家は全権を持っているかもしれないけれど、音楽は主役なんだからね。
言っておかないといけないもうひとつはヴィオレッタが着てる、ずた袋のような赤いワンピースだ。次回はこれについて話そう。
ケゾえもん
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