(2023-10-30 ケゾえもん記)
先ず言っておきたいのは私が話題にしているのは一般論ではないし音楽の評論でもない。どの指揮者の薔薇の騎士がよいのかという話でもない。私が言っているのはあの1994年10月にクライバーが演奏した三重唱と同じようなものを録音で経験するにはどうしたらいいのかということだ。
あれを経験した私は録音で(クライバーのに限らず)あれを経験したくてしょうがないわけだ。ところがクライバー自身のでさえ市販のCDではそれを経験できないのだ。なぜだ?と考えたのだ。
そのため、私はユーチューブでできる限りの三重唱を聞いてみた。ベームのもの、カラヤンのもの、メトのリハーサルのもの、クライバーのバイエルン盤、クライバーのウィーン盤、エーリッヒ・クライバーのもの。
それにより、ある結論に達した。この三重唱は歌手のアカペラの響きのみに頼ってはいけない。オーケストラにある程度の音量を与えて歌手の声と混然一体にしなければいけない。それが私の出した結論だ。
一流歌手が重唱を歌う場合、それだけですばらしい音楽が成立する。一流歌手というのは楽器なのだからそれはまったく正しいのだ。一流指揮者の下、薔薇の騎士を歌うような3人の重唱は当然美しい。録音技術者はそれだけで充分と考える。それどころかこの重唱を強調しないといけないという使命感にかられる。それが間違いなのだ!
カラヤン、シュヴァルツコップ盤はオケの音が小さい。ベームのはオケの音が非常に小さく
まるでアカペラだ。一方エーリッヒ・クライバーのはオーケストラが前面に出てきてかつ演奏が美しいので「あの」効果が出る。
この三重唱についてはオーケストラが歌手の声をかき消すくらいがちょうどよいのだ。そのあんばいのときに、あの宝石の海に浸かったと私が評した効果が発生する。かき消すは言い過ぎかもしれないけれど、オケの音は恒にはっきり聞こえていなくてはいけない。それがクライバーが奏でるウィーンフィルの演奏なら、なおさら魔法がかかると言うわけだ。
ファントムのWAVEファイルは誰かがピンポイントステレオマイクで録音したものだろう。
クライバーがホールに送り出したバランスをそのまま再現している。市販の媒体はほとんど歌手の声が美しいからと言って、ミキシングで歌手の声を前面に出してしまっている。そうするとこの曲の魔法の効果が消えてしまうのだ。
ところで話が変わるが、今回いろいろ検索した中でクライバーの実力を疑っている人がけっこういるということに驚いた。録音が少ないせいだろう。言っておくけどクライバーなんて演奏会では神様みたいなことするんだからね。
私の友人で私といっしょにクライバーのニューイヤーコンサートを聞いたものがいる。彼はその後、毎年正月の休暇にはウィーンに行ってニューイヤーコンサートを楽しむようになった。私はクライバーの年のニューイヤーコンサートしか聞いたことがない。ある時私は疑問に思って聞いた。
「ウィーンフィルのニューイヤーコンサートって、いつもいつもあのクライバーの年のように鳴り響くものなのか?」
かれは即座にきっぱり答えた。
「いや、あの年は全く特別で他の年のニューイヤーコンサートはあの年と比べるべきもない」
私もそうだろうと思った。
薔薇の騎士の連載、私が録音で無事、薔薇の騎士三重唱を楽しめるようになりました、ハッピーエンドでした、で一応最終回といたします。
私は今回たくさんの薔薇の騎士三重唱を聞きまくった。私が調べた限りで「あの」三重唱に近い録音効果を出しているものは以下の二つだ。
エーリッヒ・クライバー ウィーン・フィル
メトロポリタンオペラ公演 ルネ・フレミング、スーザン・グラハム、 クリスティーネ・シェーファー
(ケゾえもん)
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