ムーミンの作者は、フィンランド人ですが、スウェーデン系フィンランド人で、スウェーデン人の母をもち、フィンランド語よりもスウェーデン語が得意だったそうです。ムーミンの原作も、スウェーデン語で書かれています。スウェーデンに越して来てそれを知ったわたしは、「スウェーデン語を勉強して、ムーミンを原語で読みたい!ムーミンなら、読めるかもしれない。」と期待に胸をふくらませました。「ムーミンなら」というのも、わたしはスイスに8年もいたのに、ドイツ語がまったくできず、専門のユングを原書で読むことはできないまま、スイス生活を終えてしまったのです。でも、正直言ってユングは、たとえ日本語で読んでも難しかったので、それをドイツ語で読もうなんて大それたことです。そこで「ユングは無理でも、ムーミンなら!」と思ったわけですが、あれから1年余り・・・わたしのスウェーデン語は、まださっぱりです。
いつかはムーミンをスウェーデン語で読みたいという、まだあきらめてはいない目標確認の意味をこめて、ムーミンと作者についてまとめておきたいと思います。
2011年9月、記
トーべ・ヤンソン
Tove Marika Jansson,1914-2001(享年86歳)
1956年、42歳ごろのトーべ・ヤンソン
1993年、79歳ごろのトーベ・ヤンソン
フィンランド人彫刻家の父とスウェーデン人画家の母の間の長女(兄弟は弟が2人)として生まれ、自然に絵を覚えた。10代から20代にかけてはストックホルムの工芸専門学校、ヘルシンキの芸術大学、パリの美術学校などへ通う。
あまり知られていないが、一般向けの小説も多く書いており、日本でも再評価の熱が高まっている。作家として世界的に有名であるが、本国フィンランドでは画家としての評価も高く、特にフレスコ画の手法を用いた国内の公共建築の壁画など多く作品を残している。
1971年と1990年の二度、来日している。
トーべ・ヤンソンはレズビアンで、パートナーはグラフィックアーティストのトゥーリッキ・ピエティラ(Tuulikki Pietila、1917 – 2009)。彼女は、ムーミン谷博物館に納められた数多くのムーミンフィギュアやムーミン屋敷の制作でも知られ、作品『ムーミン谷の冬』に登場するトゥーティッキー(おしゃまさん・おでぶさん)のモデルともなっている。
92歳で死去したことが報道されたときの、トゥーリッキ・ピエティラの晩年の写真。トーベ・ヤンソンよりも長生きしたのですね。
ムーミンに出てくるトゥーティッキー(おしゃまさん・おでぶさん)
小説ムーミン
1945年にスウェーデン語で書かれた『小さなトロールと大きな洪水』を始めとして、その後ムーミン・シリーズとして知られる計9作品がある。
子供向けの作品であるが、小説での雰囲気は決して明るいわけではなく、不条理な内容も頻繁に登場する。また登場人物には哲学的・詩的な発言をするものも多く、子供のムーミンには理解できないという描写がしばしば見られる。
1.『小さなトロールと大きな洪水』: Smatrollen och den stora oversvamningen – 1945(ヤンソン31歳時の作品)
以下、アマゾンレビューより抜粋。
- ムーミンシリーズの原点というべき一冊。ムーミン達が住むおなじみのムーミン谷。しかし彼らは最初からあのような安住の地を得ていたのではありませんでした。ムーミンパパと離ればなれの不安の中、旅を続けるムーミンやムーミンママ。この話には、当時の不安な世界情勢が比喩的に著されています。(アマゾンレビューより)
- 日本で書かれるような穏やかでやさしい童話とは少し雰囲気が違い、ムーミン母子は辛く悩ましい出来事に遭遇しつつ、ちょっとうなだれながらどうにかやり過ごしていく印象があります。しかし、全体として読み通すと、人生が抱えている重さや苦しさを無視しないで、それでもやはり生きていることは嬉しいことなんだという力強さを感じることができます。(アマゾンレビューより)
2.『ムーミン谷の彗星』 典: Kometjakten / Kometen kommer – 1946(1956年改訂・1968年三訂)(ヤンソン32歳時の作品)
以下、アマゾンレビューより抜粋。
- ムーミントロールがスナフキンと出会う記念すべき一冊!(アマゾンレビューより)
- この作品は小学生の頃に読んで以来、大学生となったいまでも時々読み返しています。ムーミンの世界観が大好きなのは、神秘的な暗さや寂しさを包み込むように、ユーモアや暖かさや優しさが満ちているから。(アマゾンレビューより)
3.『たのしいムーミン一家』 : Trollkarlens hatt – 1948(ヤンソン34歳時の作品)
春のムーミン谷。ムーミントロールたちは山で黒いぼうしをひろいました。ところがそれは、中にはいったものをおかしなものにかえてしまう、ふしぎなぼうしだったのです。
4.『ムーミンパパの思い出』 : Muminpappans bravader / Muminpappans memoarer – 1950(ヤンソン36歳時の作品)
パパが思い出の記を書きました。捨て子だった子ども時代。マッシュかぼちゃ1かんと、大きな希望を道づれに家出した夜。すばらしいなかまとの出会い、そして若き日のママの登場。
5.『ムーミン谷の夏まつり』: Farlig midsommar – 1954(ヤンソン40歳時の作品)
平和な6月のムーミン谷。とつぜんおしよせた大洪水。流れてきた1けんの大きな家に、ムーミン一家はすみつきました。ところがそれは劇場でした。一家はすっかり劇団気分で……。
6.『ムーミン谷の冬』 典: Trollvinter – 1957(ヤンソン43歳時の作品)
ムーミン一家では11月から4月までの長い冬、冬眠をすることが先祖からの慣わしであった。しかしある年、なぜかムーミントロールだけが眠りから覚めてしまう。ムーミントロールにとって初めての冬は、たくさんの不思議で溢れていた。国際アンデルセン賞作家賞受賞作品。
以下、アマゾンレビューより抜粋。
- このお話は、今までムーミン谷に静かに暮らしてきた者たち、 繊細で、もの静かで、いつも影に隠れている者たちと、ムーミントロールとの交流が、ムーミンにとっては未知の世界である冬と共に新鮮に描かれてゆきます。
明るく元気、というよりも内向的なひっそり静かな冬のお話です。
氷姫のお話や冬至のお祭りなど、ムーミンの世界特有の不可思議で幻想的な雪の世界もとても素敵でした。(アマゾンレビューより)
7.『ムーミン谷の仲間たち』 典: Det osynliga barnet – 1963(ヤンソン49歳時の作品)
ひとり旅をつづけるスナフキン、すがたが見えない女の子のニンニ、小さなりゅうを見つけたムーミントロール―。ムーミン谷に住むたのしい仲間たちの、心にしみる9つの物語。
8.『ムーミンパパ海へ行く』 典: Pappan och havet – 1965(ヤンソン51歳時の作品)
かわいいムーミントロールとやさしいママ、おしゃまなミイにすてきな仲間たち。毎日が平和すぎてものたりないムーミンパパは、ある日一家と海をわたり小島の灯台守になります。海はやさしく、あるときはきびしく一家に接し、パパはそんな海を調べるのにたいへんです。機知とユーモアあふれるムーミン童話。
以下、アマゾンレビューより抜粋。
- ムーミンシリーズも この作品ぐらいに来ると 文学性が非常に強くなってくる。子どもが読むには 難しい話だと正直思う。但し 子どもの頃から しっかりした文学を読むことも良い勉強になることは確かだ。(アマゾンレビューより)
- ムーミンパパが ムーミン谷での生活に倦んで 一家で島に出かける話だ。パパは家長として 過剰な迄に 家族を守ることを意識する。家族には そんなパパの意識が 幾分うっとうしいまでになっていく。ムーミンママ、ムーミン自身も 小さな島で それぞれの個人の生活を確立していく。ある意味で、小津やヴィムベンダーズの映画を思わせるホームドラマである。(アマゾンレビューより)
- 島には棄てられた灯台があり 人嫌いの漁師が住んでいる。パパは灯台の再開に尽くし 漁師は そんなパパを遠くから眺めている。この二人のやりとりも 映画のようで非常に鮮やかだ。読後感は 上質のホームドラマを楽しんだという感じであった。
- トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズはいずれも傑作だが、それでも後期の作品は最初のほうの作品に比べ益々その芸術性つまりムーミンらしさを深めているように思う。最後から二作目のこの作品はこれにつぐ「ムーミン谷の十一月」と並んで最高の傑作である。登場人物をぎりぎりに切り詰めてムーミンランドを純化してゆく手法は殆ど圧巻の域。ことに、この作品を締めくくる最後のあの一文は思い出すだけで身震いがするような全ムーミンシリーズ中、最も印象深い文句の一つである。それをうまく表現した訳にも賞賛。(アマゾンレビューより)
- 大人の男の気負い、見栄、当惑、不安と虚勢、息苦しくなるようなリアリティがおなじみムーミンの世界の下から突き上げてくる。こちらが年を重ねるごとにその鋭さが見えてきて、また読み返さずにはいられない。おとうさんという役を完璧に演じようとするムーミンパパ、ときに自分自身に没入してしまうママ、少年ムーミントロールの思春期の逡巡、迷わず後悔せず個を貫く養女ミイ、そして「いなくなった」灯台守り。絶海の孤島に展開される、家族という形でよりそった者たちのそれぞれの存在感に圧倒される。人生は永遠に現在進行形、だからこそ長く手許に置いて、未来の自分にも読ませたい本。ヤンソン自筆の挿し絵の空気感もたまらない。(アマゾンレビューより)
9.『ムーミン谷の十一月』: Sent i november – 1970(ヤンソン56歳時の作品)
以下、アマゾンレビューより抜粋。
- ムーミン一家のいないムーミン谷に、一家を訪ねてさまざまな仲間たちが集まってくる。わがままだったり、弱虫だったり、ひどく強烈な性格の彼等が、主のいない家で、ぶつかりあったり爆発したりひきこもったりしながら、少しずつそれぞれの居場所を見い出していく。さみしい十一月の風景と、いないはずのムーミン一家の存在感が、彼等の演じる人間臭いドタバタ劇の背後から忽然と立ち上がってくる、この奥行きの深いスケール感が本書の醍醐味。それにしても、そこにいないことによって彼等どうしを直接ぶつけあわせ、それぞれの殻を破らせてしまうムーミン一家とはいったい何者なのか?そもそも存在するとは、不在であるとはどういうことなのか!?私自身という存在を振り返らずにはいられなくなる、読後に尾を引く一冊。人間関係の只中に身をおくすべての人にお薦めします。(アマゾンレビューより)
- ムーミンシリーズの中でも異色作だ。何と言ってもムーミン達が出てこないという作品だからである。これは実験作と言っても良いと思う。ムーミンシリーズの脇役たちが それぞれ何かを求めてムーミン谷にやってくる。しかし彼らが会いたいムーミン一家は そこには居ない。戸惑いながらも 彼らはムーミン谷で一時期一緒に住むという話。 季節は11月。北欧の冷え冷えとした晩秋の風景が 登場人物たちの横でさりげなく物語りを彩る。話は静かに進行する。まるで小津映画のような趣すらあると思う。これは子供向けの童話では納まらないものを含んだ作品なのだと思う。他のムーミンシリーズにはちょっと見られない深みと暗さが 実は凄く魅力的だ。(アマゾンレビューより)
調べているうちに、すっかり全集が欲しくなってしまいました。スウェーデン語原書の前に、まずは、日本語で・・・!?