スウェーデンで義母の葬儀を経験した。コロナでロックダウン中の国々では葬儀もできず、遺族は大切な人との最期の別れもままならないなんて、こんなところにもコロナ制限の影響があったことに、いまさらながら気づかされる。
ロックダウンされていないスウェーデンでも50人以上の集まりは禁止されているが、我が家の場合はもともと小規模にしかならない葬儀だったので、コロナの影響はほとんどなかった。
このコラムは、スウェーデンの福祉や葬儀についての一個人の経験。(2,600字、原稿用紙約7枚分)
寝たきりの義母は、最期まで独り暮らしだった
義母はストックホルムの一等地にある賃貸アパート(日本のマンション)で暮らしていた。ノーベル賞授賞式が行われる市庁舎から歩いてすぐの、街のど真ん中。裕福どころか貧しい義母だったが、おそらくスウェーデンの高福祉の恩恵を受けられる最後の世代だろう。
義母は90歳を越え、ここ1,2年のうちに完全に寝たきりになっていた。ホクオの同居人は、施設に入ってほしいと言い続けたが義母は頑なに拒否し、訪問介護を受けていた。ヘルパーが、1日7回来てくれ、食事、洗濯、買い物、掃除など、身の回りの世話をすべてしてくれるので、近くに住む家族としてホクオがすべきことはなにもなかった。
たまに顔を出すと、いつ行っても部屋は清潔で整然としていた。寝たきりになってすぐ支給された電動ベッドの脇には食事やデザートがこぎれいに並べられ、部屋中に花も飾られていて、まるで病院の個室のようだった。
訃報が入る
ホクオが義母に最後に会ったのは、義母の亡くなる1週間前だった。95歳になっていた義母は、老衰のためいよいよ水も飲めなくなり、今にも命の火が消えてしまいそうだった。
文化の違いに戸惑ったことに、同居人は、義母が息を引き取るのを積極的に見届けようとしなかった。毎日、様子は見に行っていたが、その瞬間がいつになるかはわからないので、ずっと義母宅にいるわけにはいかないと言い、ホクオが、もう一度会いに行きたいというのも止められた。
1日7回の訪問介護はもっと頻繁になり、間隔が短くなった。そんな状況なのにわれわれは、イースター休暇を過ごすためにストックホルムを離れ、車で片道1時間の距離にある田舎の家に行ったのだった。何かあったらすぐ駆けつけられる距離とはいえ、ここでも文化の違いを感じた。
しかしその翌日、訃報が入ったときには、同居人は絶句していた。
心のどこかで、義母がもう少し生きながらえてくれると信じたかったのかもしれない。だから平静を装ってふつうに休暇モードに入ったのかもしれない。
母一人子一人、女手ひとつで苦労して育てられた同居人は、すぐにホクオから離れて外に出かけ、戻ってきたときには「大往生だし心の準備もできていたはずなのに、いざとなったら想像していたのとは違った。世界がすっかり変わって見える。」とぽつんと言った。
葬儀は亡くなってから数週間後がふつう
コロナのため、病院は、病人でも死人でも面会お断りで遺体に会いにいくことができなかったこともあり、訃報が入ったあとも慌ただしさはまったくなかった。
義母が自宅で息を引き取ったのを確認したヘルパーが医師に連絡、医師が来て死亡を確認すると、遺体は病院に搬送されそこに保管されていた。
通常、遺体は1ヶ月ぐらいは預かってもらえるので、すぐに葬儀をしなくてもよい。家族が他界するやいなや、やらなければいけないことが多くて悲しみに浸る暇もない日本と違い、葬儀をいつどこでどんな風にするか、誰を呼ぶかをゆっくり考えることができる。お通夜の習慣はない。
他国のことはわからないが、スイスもそうだった。少なくとも北ヨーロッパはだいたい同じだと思う。
葬儀のこと
義母が亡くなったのは4月4日(日本では清明の日)、同居人は葬儀を4月30日に決めた。「ヴァルプルギスの夜」の日で祝日ではないが、毎年この日の夜、スウェーデンでは全国各地で火祭りが行われる。(今年はコロナで中止。)
時折日が差す花曇りの日だった。スウェーデンにはまだ桜も残っている。
葬儀は田舎の村の小さな教会で行われた。(上の写真)
日本でキリスト教式の葬儀に参列したことがないので、比較できないが、ホクオが経験した葬儀はこんな感じだった。
●入場と着席:遺族は他の参列者と同様に、開始時刻までに教会に行けばよい。祭壇の前に白木の棺が置かれている。(上の写真)
棺の上には花が飾られ、遺体は見えない。(同居人は、式の前後で見ようと思えば見えたのにそれを望まなかった。)遺族は一番前の遺族席に着席。参列者は各自、好きなところに座る。
●葬儀開始の合図:牧師が棺の中の故人に向かって「今、あなたのための鐘が鳴りますからね。」と言うと、教会の鐘が鳴り始める。スイスでもそうだったが、葬儀のときに鳴る鐘は長く響き渡り、周りの住人にも誰かの葬儀がこれから始まることがわかる。
●鐘台:上の写真の通り、教会は低い建物で鐘台らしきものがないので鐘がどこで鳴ったのかと思ったら、敷地内の少し外れたところに鐘台があった。(下の写真)
●パイプオルガン:1時間ぐらいの式の間に流れる曲や、斉唱する歌はすべて同居人が厳選したもので、それをオルガン奏者が演奏した。難易度が高い奏者泣かせの曲もあったそうだが、ふつうは、曲の選択はすべて教会にお任せする人が多い。
●献花:遺族に続いて参列者が順番に献花をしながら、棺に向かってひとりひとり故人にお別れを言う。心の中でつぶやく人がほとんどだったが、みんなに聞こえるように大声で言う人もいたし嗚咽している人もいた。
●歌う牧師:オペラ歌手並みの声量で、牧師が祭壇に向かい両手を広げて高らかに歌う場面もあってちょっとびっくりした。牧師は歌も歌えないといけない!?
牧師は女性だった。(写真)
●葬儀終了:最後にまた鐘の音が響き渡ってセレモニーは終わる。
霊柩車と葬儀後のお茶会
約1時間の葬儀が終わると、棺はそのままで、みんな別棟に移動して軽食タイム。時間のない人やコロナが心配な人は、ここで帰った。
教会の外で待っていた霊柩車には、誰ひとり関心を示していなかった。この霊柩車が、病院まで遺体を迎えに行き、葬儀が終わると棺を火葬場まで運ぶ。(下の写真。霊柩車はVolvoだった。)
遺族が火葬場についていく習慣もない。
お茶会会場に到着すると、同居人が、義母の写真を額に入れたものや寄せ書き帳などをその場で並べた。気楽でくつろいだ雰囲気の中、喪主のあいさつのあとは、しゃべりたい人が思い思いに故人にまつわる思い出話を即席でスピーチしたり、寄せ書き帳に記入したりした。着席形式で、コロナのため、座席はひとつづつ空けて座るよう配置されていた。
●香典など:参列者によりまったくバラバラで、なくても構わない。遺族側が招待時に「もし香典を考えてくださっているなら、XXXという団体に寄付してください。」ということも多い。この場合、寄付したかしていないかは本人しかわからないのだから、本当に、気持ちの問題である。
同居人は、リクエストを聞いてきた人には「母が植物が好きだったので、庭に植えられるもの」をお願いしていた。フラワーアレンジメントを持って来てくれる人や、花屋の商品券をくれる人もいた。
●葬儀にかかった費用:招待客20人程度の簡素なセレモニーで、60万円ぐらい。本当ならこの程度のセレモニーなら40万円ぐらい(経済的に余裕がない家庭は、考慮してもらえてさらに安くなる。)だが、同居人が教会の信者でなかったり、霊柩車が遠方まで遺体を引き取りに行かなければいけなかった分、合わせて20万円ぐらい余計にかかっている。