「椿姫 忠実な側近アンニーナ」
(ケゾえもん 2023.10.10 記)
クライドボーン音楽祭2014年の椿姫はとても良くできているので、その話を少ししたい。
前述のようにこのクライドボーン版では他の椿姫では見られない、給仕とメイドをヴィオレッタの夜会に登場させて、パーティーにすばらしい臨場感を与えるのに成功しているのだけど、その他にもいままで見たことのない数々の工夫がされているし、それが大成功している。めずらしいことをやってことごとく失敗しているメトの赤いずた袋ドレス椿姫とは大違いだ。
この演出では2幕2場、そして3幕にしか登場しない家政婦のアンニーナをすべての場に登場させている。
このアンニーナの役柄は有能なヴィオレッタの側近。ヴィオレッタのビジネスに深く関わっている。おそらく給仕達やメイド達の差配までしていると思われる。スピンオフオペラ「アンニーナ」を作ってもいいくらいの存在に仕立ててある。
このアンニーナに想像力をいたく刺激されてしまったので少し物語を作ってみよう。
ヴィオレッタはおそらく30代前半でアルフレードは年下で20代前半というところ。アンニーナは綺麗だからおそらく未亡人で30代後半だろう。夫に死なれて生活困窮しているところをヴィオレッタに見いだされた。それを恩義に感じてヴィオレッタに忠誠を誓っている。
このビジネスはヴィオレッタひとりでできるものではない。食材や酒の仕入れ。給仕やメイド達の人事管理。お客様へのお礼の手紙、時節の贈答品の送付。優秀なシェフのリクルート。
ヴィオレッタはママとしてミーティングなどもこなすだろう。
「今日はローマの警視総監のスカルピア男爵がいらっしゃるから、接待気を付けてね。
プッチーニさん筋のお客だから絶対負けたくないのよぉ。
そうそう、女優のトスカ様を連れておいでとおっしゃってたわ。
一曲歌ってくださるそうだから、アンニーナ、楽隊の手配お願いね。たぶん「恋に生き歌に生き」よ。楽隊は一流じゃないとね。ほらあのドイツから来てるベルリンなんとかって楽隊なんとかならないかしら。フォン・ビューローとかいう名前の人がやってるやつ」
「あらフランチェスカ、あなた侯爵と同伴だったわね。もう行っていいわ」
「もうー、ミレッラまた遅刻なの?罰金だからね」
1幕で大合唱の後に客がすべて帰った後、この演出ではメイド達と給仕達がパーティー会場の後片付けを始める。(なんと正しい!)普通の演出では客が帰った後にヴィオレッタはひとりぼっちで歌を歌う。
おかしいわ!不思議ね!心の中に
彼の言葉が刻まれている!
私の乱された心よ、どうすればいいの?
中略
ああ、きっと彼だったのよ、
喧騒の中でも孤独な私の魂が、
思い描いていたのは!
中略
その愛はときめき、
全宇宙の鼓動、
神秘的にして気高く、
心に苦しみと喜びをもたらす!
後略
このクライドボーンの演出では、独白ではなく、なんとアンニーナに語りかける。半ば呆れて、しかしやさしくアンニーナはヴィオレッタの興奮を聞いてあげる。このシーンのはまるのには驚いた。と言うよりむしろ独白ではちょっと深刻になり過ぎる。
このアンニーナに聞かせるというのがとにかくはまる。
メイドのアンニーナが片づけに加わらないのはおかしいと最初思ったが、アンニーナがヴィオレッタの側近で管理職の立場だとすると納得できると考え直した。
普通の演出でもアンニーナは2幕1場に登場するが、このクライドボーンのアンニーナは普通いる筈のないシーンでも登場し、状況を把握し情報をヴィオレッタと共有する。いる筈のないところに登場するのは側近だからおかしくないのだ。
カバー写真は納得が終わって去ろうとするジェルモンをうらみがましく見つめるアンニーナ。普通の椿姫ではあり得ない光景。
アンニーナは2幕2場にも登場しぴたりとヴィオレッタに寄り添い、アルフレードが来てしまった時にはパトロンのドゥフォール男爵とのあつれきを防ごうと危機管理を試みる。まあ、この危機管理は結局失敗して大事故となってしまうのだけど、これはアンニーナの責任では断じてない。
この演出のジェルモンにも大納得で、すごく良い人ではないが、絶対悪い人ではない。なんとかヴィオレッタを説得しようと一生懸命なのだ。この説得、オペラでは15分くらいなのだけど、普通に考えると2時間くらいの会談で、その間にヴィオレッタはいろいろ考え、アルフレードと別れるのはやむを得ないと心の整理をつけるのだと思う。(私がそう考えるだけ)このジェルモン、ヴィオレッタが説得してくれた時に、それならとポケットから財布を出してお金の束を渡そうとしてしまう。汚いものの様にするどく払いのけるヴィオレッタ。(当然だよな)お金は床にちらばり、呆然とするジェルモン。あーおっさんやっちゃったねぇ。と思わせる。そのジェルモンはこの後、律儀に悲しそうにお金を拾い集めるのだから、絶対憎めない。
ヴィオレッタの手紙を見て、去ってしまったことを知り苦しみなげくアルフレード。そこにジェルモンが再び現れ、かぎりなく美しい「プロバンスの陸と海」を歌い、故郷にいっしょに帰ろうと諭す。しかし納得できないアルフレード。フローラの夜会への招待状を見て、そこに行ったんだな!僕を捨てて!とジェルモンが止めるのも聞かず駆け出していく。
この時、普通の演出だとその招待状を握りしめて駆け出してしまうのだ。ところがこの演出では招待状はそのままテーブルにのこされてジェルモンはアルフレードがどこに行ったか分かるようにしている。アルフレードはもともとフローラの夜会に友人のガストンといっしょに行って、その後ヴィオレッタの夜会に流れてきた経緯なのだから、フローラの夜会の場所は先刻承知しているわけだ。
私はこれまで椿姫を見る時、2幕2場でアルフレードがフローラの夜会で「しでかしてしまった」後にどうしてうまい具合にジェルモンが現れるのと不思議でしょうがなかったけれど、それの説明をきちんとつける演出を初めてみた。こういうのを緻密と言うんですよ。
ジェルモンはあちこちで、このフローラさんの夜会というのはどう行けばよいのでしょうなと聞いてまわったに相違ない。急ぎ宿に帰って主人に聞いたのかもしれぬ。宿の主人はびっくりして
「フローラの夜会って、ジェルモンさん、そんなとこに行きたいのですか?!」
なんてことになったのかも。宿の女将には「やーね、結構お盛んなのねぇ、あの人」
とか言われてしまったのかもしれぬ。
フローラの夜会会場にたどり着いても、「お客様、ここは会員制になっておりまして」とかドレスコードが燕尾服だとかで黒服に遮られ、入場に手間取ったのかもしれない。最後はヴィオレッタに渡し損ねた金の一部を握らせてやっと入ることができた。とにかくジェルモンがフローラの夜会に潜入するのは大変だったはずなのだ。
するとなにか騒ぎがおきている。婦人を侮辱したと客たちが怒って誰かを取り囲んでいるのだ。見ると非難されているのはアルフレード。どうしたんですと聞くと
「あの青年、あそこに倒れているご婦人のことを公衆の面前でぶったたいたんですのよ」
と言うことなのだ。よく見ると倒れてアンニーナに抱きかかえられているのはヴィオレッタ。すぐ事態を飲み込んだジェルモンはアルフレードを諫めに近づく。
ジェルモンの歌うパートはこの諫めるところすら超美しい。
自らを軽蔑に値させることだ。
怒りにかられたといえ、婦人を侮辱するとは、なんと言うばかものだ。
私の息子はどこへ行った?
皆の中で私だけが知っている、彼女が胸に秘めた美徳を、私は知っている。
彼女の愛は誠実なのだ。
だが、残酷にも私は黙っていなければならなかった!
さてヴィオレッタが死ぬ3幕、当然アンニーナはそこにいる。ところが側近なのでヴィオレッタの薬のチェックとかその他いろいろやってしまうし、ここまでの流れでそれはやむを得ない。だけど1幕2幕で大成功した「側近アンニーナ」はヴィオレッタの死を描く厳粛な3幕では、いささかじゃまになる。これはおしかったし、仕方がないことだった。
しかし、クライドボーン音楽祭2014年の椿姫は1幕、2幕は相当良い。
オペラではなくドラマを見ている気にさせられる臨場感だった。
(掲載写真はすべてクライドボーン音楽祭2014年 NHKBS放送より)
ケゾえもん