(2023/3/19 ケゾえもん 記)
ワーグナーは「ニーベルングの指環」という4部作のオペラを書いた。4部作それぞれに別の題名がついていて、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の4つ。1話完結でなく連続物語となっている。
「ラインの黄金」でキーアイテムである指輪を奪われた神々の王ヴォータンはその事態(神々の没落)をなんとかするため遠大な計画に着手する。
人間の女に自分の子供(名前はジークムント)を産ませ、その子といっしょに荒野をさまよい、その子を鍛え上げ、そして意識してその子を置き去りにして、将来危機がその子を襲うことを予想して魔剣ノートゥングを用意したのだ。
ところが奥さん(女神フリッカ)に「あんた人間の女なんかと浮気して子供まで作っちゃっていろいろ企んでるわね」とケツケツ言われてしゅんとして、すぐ諦めてその計画をあっさり放棄しちゃうんだぜ。これだけ遠大な計画をさ。
もうちょいディティールを話すとジークムントは今、幽閉状態にある。
いろいろあって恋人ともいっしょで二人でそこを脱出しないと殺されてしまうという状態で非常にやばい。ところがヴォータンはなんせ神々の王だから未来も見通せて、こういう事態が将来、来るであろうと予想して何十年も前からその幽閉場所にある大木に魔剣ノートゥングを刺しておいた。これはどんな力持ちが試しても抜くことができず、「恐れを知らぬ英雄」だけがこれを抜くことができるという伝承がなぜだかあった。(これはもう筋立ての王道だよね。ワーグナー正しい)
もちろんお約束でジークムントはノートゥングを引き抜くことに成功し、丸腰だった彼はこの絶大な威力を持つ武器を手に追手のもとから脱出に成功する。まるでF-14トムキャットを敵の手から奪いそれを使い脱出に成功するようなものだと言うとわかりやすいだろう。(えっわかり難いって?つまりこれも筋立ての王道だと言いたかった)
さらに話すと、実はジークムントと一緒の恋人というのはジークリンデと言う名前で生き別れになっていたジークムントの妹。そしてその二人の間に生まれた子がジークフリート。つまり近親相姦。どうしてこのシチュエーションを導入しないといけない?しなくても話成り立つでしょ。ワーグナーおかしいんだ。
初台の新国立劇場での「ワルキューレ」公演でオペラの舞台が額縁で囲まれていて、基本すべてその額縁内部で劇が進む形式だったんだけど、ノートゥングをヴォータンが破壊する場面で、ボータンが額縁の中からすっと外に出て、その外から槍を投げつけノートゥングを破壊するという演出がありヴォータンの超神性を一瞬にして表して見せて、あれにはしびれたなぁ。
「ワルキューレ」の後のお話の「ジークフリート」ではジークムントの息子(ジークムントの死後ジークリンデが生んだ)のジークフリートはまだ子供でターザンみたいに自然児として育ったけど、いろいろあって現在は悪人ミーメに育てられている。ミーメはまっぷたつに割れたノートゥングをどこからか手に入れてこれを修理してテロ活動をしようと画策している。
ミーメはいろいろやるが(溶接技術のない)当時(当時っていつよ?は、はっきりさせてない)の技術ではうまく折れたノートゥングを接合できない。それを見ていらいらしたジークフリートは金太郎みたいな子でミーメをぶっとばし、僕が作ると言い出す。
それでどうしたかと言うとなんとジークフリートはノートゥングの破片をやすりで削って全部粉にしてそれを溶かして新たに剣を作るのだ。新ノートゥングの誕生だ。
この作業中のためにワーグナーは「えいやさ、こらさ、トンカンチン、トンカンチン」みたいな音楽を作ったんだ。クラシックファンというのは頭脳を訓練して音楽を聴くとそれが化学反応を起こして脳の中で大爆発するようにしているんだ。特にワーグナーのすばらしいのを聴いたときの反応はすごいことになるようになってる。でもね、このトンカンチンのところは、なんかねーおもしれえなーと思ってしまって(私は)興奮できないんだよねー。
しかしワーグナーの考え方が科学的なことに驚かされる。ワーグナーはこの脚本を書く時いろいろな神話や文献を調べたのは確実だけど、折れた剣を粉にしてまた1から鍛え直すってアイデアは極めて独自なものだし、工学的考え方だよね。
ワーグナーは音楽だけでなく脚本も自分で書いてしまった。
ニーベルングの指環の脚本は複雑で相関図もまた複雑。しかも神話のお話。だからどんな矛盾があっても解釈でいかようにも救うことができる。いろいろな解説があるけれどそれはそういう矛盾を救うために小理屈こねていることが多い。あまり真面目に解説本を読まない方が良い。参考にするのは良いけど。
(2023/3/19 ケゾえもん 記)