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裏ばなし:苦労知らずのホーカン、才能に恵まれ行き当たりばったりな人生
【小中学校】姉が通っていたアドロフ・フレドリック音楽学校(小学校4年生から始まる名門校)をなんとなく受験して合格、入学後、学内オーディションにも合格して少年合唱団に入ったところ、歌の才能を認められる。
【高校】周りの人が目指していた一流進学校であるクングスホルム高校を適当な気持ちで受験してトップの成績で入学。
【大学】努力しなくても才能があった歌は趣味として専門にする気はなく、数学も得意だったので、年上の従兄弟が通ってたという理由でスウェーデン王立工科大学(KTH)のコンピュータ科学に進学。入ってみるとオタクの世界についていけず、つまらないと感じる。
【二つ目の大学】KTHの大学生として趣味で所属していた聖ヤコブ室内合唱団(民間の中で、セミプロ級とみなされていた合唱団)では、当時ヨーロッパのコンクールを総なめしていたスウェーデン合唱会の巨匠ゲーリー・グレイデンに、ソロも任されることがあるほどだった。そこで、つまらないコンピュータ科学より歌の方がラクだという安易な気持ちでストックホルム王立音楽大学を受験して転学。3年後、飛び級してロンドンに留学する事がなんとなく決まる。
【ロンドン留学】イギリス音大時代には、キリ・テ・カナワに名指しで褒められたが、超のつくほどの有名人だったキリを知らなくて学友達に唖然とされた。
・・・表向きの経歴につづく。
裏ばなし:稲生真保は山手線にあこがれて音大を目指した。
稲生真保は、北鎌倉女子学園普通科の高校1年生だったとき、合唱部の指揮をしていた恩師の児島百代氏に言われた言葉が、進路を決めるきっかけになった。
「普通科で成績も普通ならあなたの進路は短大ね。とくにやりたい事もないなら今から色々レッスンを頑張れば、東京音大声楽科を約束するわ。四年制よ。山手線よ。」
山手線につられてその気になった稲生真保、音大進学を目指してレッスンに通い始めるが、マリアカラスすら知らなくて先生に呆れられた事もあるそうだ。
音大進学後も、周りがイタリア留学を目指してイタリア語を勉強している傍で、全米ヒットチャートを聴きながら、世界は英語だと言いながら英語を勉強して風変わりな学生と見られていた。
大学院2年目でニューヨークに初めて行ったとき、やっぱりアメリカ!とミーハー志向でニューヨークのジュリアード音楽院留学を希望するが、恩師の栗林義信氏に紹介できる繋がりがないと言われ、やむなく、それまでも頻繁に行っていたロンドンに留学した。
・・・表向きの経歴に続く。
この世界には、音楽が大好きで、寝ても覚めても歌いたい人達も多い中で「テキトーにオペラ歌手になった夫婦(自称)」の裏ばなし、以上。
2019年には、ストックホルムの教会内でサマーコンサートも催した。(参考ページ)
どうでもいい付記:この記事を書いた経緯(ホクオ日記)
2020年8月12日、滅多に通らない道を歩いていたとき小洒落た一角があったので何気なく写真を撮った。この記事を書くまで知らなかったがBakfickanというオペラ座内のレストランで、この先にオペラ座関係者の通用口があるそうで、オペラ座関係者にとっては、観客用の出入り口のあるオペラ座の正面よりも馴染みのある側だった。
そうとも知らないホクオは、この一角を通り過ぎた数秒後に、広々としたオペラ座の正面に出てきたときには、ストックホルムの道がいまだにさっぱり覚えられない自分の方向音痴ぶりにもあきれながら、ここにつながっていたのかと驚いた。
そして、観光客でもないからこんな写真は要らないと思いつつも、ひょっこりここにたどりついたついでに撮ったのが以下の写真。どこを見ても絵になるストックホルムの市街地だが、この日は13,000歩も歩いて撮った写真はこの2枚のみだった。
翌日、ケゾえもんがストックホルム放送合唱団について寄稿したのを編集していて、この夫婦のことを思い出した。もし前日にこのオペラ座の写真を撮っていなかったら、この記事を書こうと思わなかったかもしれない。なんとなく、見えない力によってこの記事を書かせてもらった気がする。関係あるとは思っていなかったもう一枚の写真も関係があったという偶然も面白い。
(2020年8月16日、記)