「またまたコロナを振り返る。」
(文=ケゾえもん)
数えてないけどもう4度目くらいになるんじゃないかな?去年の2月くらいから始まったコロナ騒ぎを振り返ってみたいと思う。
私は終始このコロナはたいしたことはないと言う判断を続けていて必要以上に怖がったことはない。
ただし、政府の専門家委員会(責任者:尾身茂)から出た嘘、「コロナの感染者のうち8割が無症状と言えど2割は必ず重症化する」がマスコミによりあまりに事実のように喧伝されたときは、それを信じて2割が肺炎になるのだったらなるべくかかりたくないと緊張はした。しかしそれは真っ赤な嘘だったのだ。
ひどい話だよね。
さて、私が怖がってこなかったということに話を戻そう。
私は「コロナ怖い」「コロナ怖い」「コロナ怖い」と報道された2020年2月後半、コロナは怖くないと判断してパリに旅行に行った。帰ってきたのが3月3日なのは覚えているから出発は2月26日くらいじゃないかな?(パスポート見ればわかるがめんどくさい)
どうしてその時期に怖くないかと判断したかというとその時に超過死亡率を調べたからだ。超過死亡率とは有り体に言えば去年の同じ時期の死亡者数と比べることだ。(正確な定義は違うが同じようなものだ)
マスコミが言うように本当にばたばたと人が死んでいるなら死亡者数はがっつり増えている筈。ところがもう日がたってしまったので当時の資料は探せないけれど、ヨーロッパでも日本でも超過死亡率に変化はなかった。本当に変化はなかったのだ。
あたりまえだ。日本では今でさえ累計8989名(コロナ死)。
一方コロナ以外での例年の日本人の死亡数は年間100万人以上。
これでは超過死亡は統計に出てこない。
一方54.8万人(コロナ死)も死んだ米国ですら超過死亡という観点から見ると統計に表れない。なぜならコロナの場合、死亡者のほとんどが70歳以上でしかもその多くが80歳以上だからだ。
80歳以上になると人はなにやかやで死ぬ。つまり50万人コロナで死んでも他の死因が減って帳尻があってしまうのだ。
だから私はパリに旅立った。この判断間違ってないでしょ?
私は中国人がいなくなって、非常に混雑が緩和されたパリを最後の「普通のパリ」を堪能することができた。いま海外旅行ができなくなっても、あれよかったーと言う思い出だけで生きて行くことができている。
こういうことを言うと、70歳、80歳の人がコロナで死んで行っているのだ、それに同情しないといけないという意見を言う人がいるだろう。
しかしね、これは明日は我が身なんだよ。いつかはあなたも年寄りになる。年寄りになったら死なないといけない。いつか言ったけど私は死なないといけない時が来たなら、他の困難な長患いで死ぬよりコロナで死ぬのは悪くはないと考えるのだ。
だから年寄りはコロナで死ねと言っているわけではない。
しかしね、こういう病気が流行っているなら年寄りはマスクするべきだし、流行中の冬場はあまり外出しないようにするとか、いままで年寄りがしてきたことをすればそれでいいじゃないかと思うのだ。
それで、もしももしもだよ、たとえば米国でまったくロックダウンをせず人々が普通に暮らしたら50万人が100万人になったろうかと考えるのだ。私はそうは思えないのだ。
私はいまだ上久保説を信じている。コロナは日本では弱毒コロナが蔓延してみんな一度はかかってしまい従ってみんな免疫を持っている。他の風邪コロナと同じで免疫の抗体はすぐ消えるから検出できない。しかし再びコロナウイルスに出会ったらメモリB細胞が迅速に抗体を作りだす。コロナは変異する。
変異すると再感染するが変異前のメモリがあれば重症化しない。
私は10月に嗅覚をなくしたが変異コロナの軽い再感染に出会ったものと信じている。私のB細胞は変異コロナ用の抗体をなんなく作り出したのだ。
つまりコロナはもう蔓延してしまっている。一般の風邪とこれは同じだ。
おじいちゃん、おばあちゃんは風邪をひかないように注意する。
しかしじっちゃん、ばあちゃんを守るために風邪ウイルスを増やさないようにするために、みんなで家にこもり、お互いの接触は厳禁なんてことはナンセンスだろと思うわけだ。
だいたい風邪の蔓延を防ぐために飲食店を8時閉店にして効果があるんだと私がもし2018年に言い出したら頭おかしいんじゃないのと言われると思うんだよね。今公式にはコロナの陽性者(新規感染者?)の累計が460,434名なんだよね。つまり他の1億1千万950万名はコロナに会ったこともないというのが公式にされている認識なんだよね。
その1億1千万950万名がコロナにかからない様にみんなで努力しないといけないというわけだろ。ナンセンスだよ。
それじゃ、どうすればよかったのか?我々はとんでもなく不幸なのか?
ワクチンは必要ないじゃまものなのか?
私はその命題を熟慮した結果、今回のコロナ事件はむしろ良いことではなかったかという結論に達した。次回はそのお話。
(2021年3月28日、ケゾえもん記)
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