日本でも、空気の澄んでいる秋は、夜空が美しい季節ですが、北欧では、いっそう、それを感じます。なんといっても、北欧の夏は、日の入りが遅くて、深夜でも薄明るいので、空に星があることも忘れるぐらいですから。
長かった日がどんどん短くなり、パラダイスだった夏が終わって、少しものさびしい気分になってきたとき、星空の美しさには元気づけられます。
とはいえ、せっかく、星空のきれいな森の中に住んでいても、紅葉した木々とは違って、星の場合は、わざわざ見ようとしなければ、見ることもなく日々が過ぎてしまうものです。
わたしが、あえて毎晩、星を見ようとしているのは、実は、不純な動機からで、「星を見るのが目によい」と聞いたからでした。
静岡で、おいしくて身体によい無農薬のお茶を栽培していらっしゃるKさんは、今年86歳で、メガネも掛けず新聞も本も読め、車も運転されるのですが、このKさんの視力維持の秘訣のひとつが、星を見ることだそうです。42歳から、ひどい眼精疲労(老眼・・・)が出るようになり、43歳の今は、症状がますます進行中のわたしは、早速、星を見ることに決めました。
「目のために」と思って、渋々、外に出ます。
煌々と電気のついた、明るい室内から外に出ても、すぐには星空は輝き始めません。
目が慣れてくるにしたがって、見える星の数はどんどん増えてきます。無意識に近づくのと少し似ているな、と思えます。(わたしは深層心理学を専門にしています。)
星が見えたあと、こんどは、「星になった人たち」のことが思い出されてきます。そして自分もいつかは星になって、「あの世」に行くことを想像するのです。
人間は、生まれた瞬間から死に向かって生きはじめる。
そして、生きるために食べなくてはならない。
なんという矛盾だろう。それでいて人間の躰は、
たとえ、一椀の味噌汁を味わっただけで
生き甲斐をおぼえるようにできている。
何と、ありがたいことだろう。―池波正太郎
2011年10月追記
10月に入ってから、連日、美しい月夜の晩が続きました。家の中からでも見える、「おつきさま」(と呼びたくなるような月です。)に見とれて、星を見る習慣をやめてしまいました。